Puamana

ありのままの存在への愛と関係性への愛

愛ってなんでしょうか。

愛と一言で言っても様々な意味があります。 今回のテーマは【愛】。

どんな愛があるか、考えてみたいと思います。

最初の愛は【求める愛】

心地よさ、安心、幸福、快楽、人は生まれた時から今現在までつねに愛情をかけられることを求めています。赤ん坊は泣く事で不安を伝え、親のぬくもりや安心感を求めます。

次に私たちに身につくのは、【与える愛】

ペットを世話したり、誰かのために何かをしてあげたいと思ったり、好きな人のためならなんでも出来る!そんな風に、誰しも何かに対して深い愛情を感じる時があるでしょう。しかし、与える愛情が最大の愛ではありません。

さらに深く追求してみると、【相手の存在を認める愛】がでてきます。

犬という生き物に対して愛情をかけるならば人は可能な限り干渉をしない方が犬は犬らしく成長していくでしょう。これは明らかな事実です。リードにつなぐべきではないし、クレートにいれるべきでもない、ましてや家に閉じ込めっぱなしにすることは、もはや犬に犬であることを辞めさせようとしているのと同意です。

しかし犬という生き物への愛ではなく、自分のペットとして愛情をかけたいならば様々な干渉をし、犬を自分のペットとして自分が求める姿に変化させていくはずです。それは共に生きていく上で必要な事でしょう。しかし、私たち人間が犬に対して理想とするペットとしての姿をいつも要求しているのだということを意識しているのといないのでは犬に対する思いが大きく違ってくるのではないでしょうか。

今回私が伝えたいのは、【ありのままの存在に対する愛】と【自分と他者との関係性への愛】は異なるものだという事です。

例えば私たち、人はそれぞれ独立した個々の存在です。誰かの生き方に対して干渉や変化を強いる権利はありません。

しかしながらそこに夫婦・恋人・子ども・うちの子(ペット)という私たちが作り出したなんらかの【関係】が出来ると、その関係性の名の元に本来はただのエゴである自分の欲求を相手に求める事や主張が正当な物であるかのように変化するのです。

私たちが作り出した様々な【名前のついた関係】は必要であるかもしれないし、実は必要ないかもしれません。

“名前のついた関係に付属している一般的な常識”というのがあまりにも生活の中に浸透しているので深く考えてみることもないと思います。一度、【関係性】というフィルターを完全に取り払った状態で相手を見てみると本当は自分が相手の事をどう思っているのかがわかるかもしれません🌺🐑🌺🐑🌺





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